篆刻から書、絵画まで、あらゆる分野で才能を開花させ、稀代の美食家としても名を馳せた芸術家、北大路魯山人。
陶芸家としても名高い彼をこの世界に導いたのは、山代の地での初代須田菁華との出会いでした。
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大正初期、まだ三十代の無名芸術家だった魯山人は菁華の元で手ほどきを受けながら、一年間ほどを山代温泉で過ごしています。
趣味人として鳴らした当時のあらや宿主 十五代源右衛門は他の旅館の旦那衆とともに魯山人と親しく交わり、
書画や看板などを注文して彼の生活を支えました。
現在 当宿には、初めての陶芸作品といわれる赤絵皿や、 烏湯縁起にまつわる暁烏の衝立など、魯山人ゆかりの作品が残されています。